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「メイズ・ランナー2:砂漠の迷宮」見た!


迷路の外の世界で待っていたのは――彼らをさらに過酷な運命へと導く巨大組織。そして、灼熱の太陽に焼きつくされ、すべてが崩壊した砂漠のような地球の光景。この世界の攻略方法は存在するのか?

メイズ・ランナー2:砂漠の迷宮 映画作品情報 - シネマカフェ


シリーズ第一作目である前作「メイズ・ランナー」は予告映像を見たときは地雷臭というか微妙な作品っぽい印象を受けたのですが、いざ本編を見てみたらこれがなかなかよい出来の作品でして駄作覚悟で観に行ったくせに観終えた瞬間から「早く続きが観たい!」と思うくらい引き込まれました。

そもそもわたしはこんな感じの見知らぬ場所に突然ぶち込まれる系の冒険譚がとても大好きですし、ボーイミーツガールな展開にも目がありません。作品を構成する要素だけとればわたし好みの作品であることは間違いないわけですが、そういったわたしの嗜好による加点を差し引いて考えても「メイズ・ランナー」は多くの人が楽しめる冒険活劇だったと思うのです。


そんなわけでこのたびみんな大好きメイズ・ランナーの続編がやっと公開されたということで張り切って観に行ったのですがめちゃくちゃ微妙でした。これは...ダメなやつだよね?


物語は前作の直後、つまり迷路を脱出したトーマス*1たちが別の場所に連れていかれたところから始まります。
連れていかれた先の施設はこそこそと怪しげな活動をしていたのでトーマスはあの手この手でその謎を解こうとするのですが、トーマスがちゃんと活躍したのはここまで。この施設の謎を解くために八面六臂の活躍を見せるのですが、見事脱出して以降は一気に役立たずへと成り下がってしまいます。

というか、何をするにもぼんくらな顔をしてささっと決断できずにいるしその決断ミスのせいでいろいろと不都合なことが起きていってどんどん窮地に追い込まれたりするのです。ミンホの方がだんぜんリーダーっぽくて頼りになるじゃん...。

そしてリーダーの主体性のなさが災いしたのか、物語もすべてが勢いだけというか必然性なくただその場その場の流れに流されるだけで引き込まれるような部分もなく、時折変な敵に追いかけられる以外はまったく緊張感もワクワクもないままに話は進んでいきました。

あまりにおもしろくなくて眠くもなりませんでした。つらい2時間でした。
ここまできたら3作目も見るつもりですが、正直もう期待はしません。今回受け付けられた傷は深いDEATH。


あとはもはや作品の内容と迷路はあまり関係なくなっているのでタイトル変えてもよくね?とか思うのですが、タイトル変えちゃうと続編だと気付かない人続出なのでもう変えられないんでしょうね...。というかもともと変える気なんてなさそうな気もするのですが、とりあえず今作は迷路は一切出てきません。メイズのランナーなのに迷路無しって。


@TOHOシネマズ宇都宮で鑑賞

*1:主人公

「アデライン、100年目の恋」みてきた


現代のサンフランシスコ。市立の資料館で働き、老犬リースと暮らす29歳のジェニーは、ある日ホテルで行われた年越しパーティで、青年エリス・ジョーンズと出会い、惹かれあう。エリスの結婚記念日で彼の実家に招かれた二人。ジェニーとは初めて会うはずのエリスの父親は彼女を一目見るなり、驚愕の表情で「アデライン」と呼びかける。それは、彼が若い頃、心から愛した女性の名だった――。

アデライン、100年目の恋 映画作品情報 - シネマカフェ


本作はある出来事をきっかけに年をとらなくなった女性ジェニーを描いたお話でしたが、年をとらなくなったことで得たもの、失ったものが両方明確に描かれていたのがとても印象的でした。本作のおもしろいところはジェニーは不老不死ではなく不老であるという点です。

つまり死なないわけではなく単に老化しないだけという設定なのですが、こういう設定になってみて初めて気づくのは不死であることはさほど大事ではないのではないかということです。不老不死をのぞむ人はたくさんいますが、実際にそういっている人が本当に望んでいるのは老衰しないことであっていわゆる不死のことはあまり考えていないんじゃないかという気がしました。

だって事故や病気で体がボロボロになっても生きているとしたら、それはそれで怖いし嫌じゃないですか...。


わたしは「不老はいいけど不死はいらないかな」と思ったのですが、そんなわたしの感想はどうでもいいですね。すいません。

さて。われわれ人間にかぎらず、この世に生きとし生けるものすべては生まれる場所も時代も選ぶことができません。さらに持って生まれた能力もみな違いますし家庭環境だってバラバラ。そしてそういう自分ではどうすることもできない初期パラメーターがその後の人生の難易度の大半を決めているということはまぎれもない事実です。

生まれながらにして誰一人平等ではないのです。

ところが一つだけ誰にとっても平等なことがあります。それは1時間は誰にとっても1時間だということです。
わたしの1時間とあの人の1時間が違うということはありませんし1時間は誰にとっても1時間なのです。


時間は大きな川のようなものであってわたしたちはその上を流されているだけだと思っているのですが、そう考えると不老を手に入れるということはすなわち川の流れにのらないことと同義です。みなが下流に向かって流されているのに流されずにその場にたたずんでいる状態が不老だとすると、それってものすごいさみしいことなんじゃないかなと思うわけですが、本作はまさにそんな「時間の流れにおいてけぼりにされたさみしさ」が伝わってくる内容でした。

娘はどんどん大きくなるのに自分はいつまでも29歳のままで、いつの間にか娘は年老いてしまって老後を生きているわけです。
さらにどんなに誰かを好きになったとしてもその人といっしょに年を重ねることも叶わないのでいつも最後は一人になってしまうし、老いることのない自分に誰かが変な好奇心を抱かないように10年ごとに名前も何もかも変えて新しい場所で生活を始めるのです。


どんなに長く生きられるとしてもずっと一人というのは味気ないしおもしろくありません。

もちろん「生まれてくるときも死ぬとも一人なんだから人生なんて結局は一人なんだしだから一人でいることなんてぜんぜんさみしくないんだ」と強がってみることはできますが、でもせめて生きている間だけは誰かといっしょに過ごした方がいいじゃないかと思うし、本作のジェニーを観ていてもそうだなと感じました。

何百年と生きられる肉体的な不老を手に入れて生きられるようになったとしても、メンタルな部分はなかなかそれについていくことは難しいんだなと。少なくともわたしは不老も不死もいらないなあと見ながら実感しました。


ちなみに、わたしがこの作品ですごく好きなシーンは「やっと出会えた自分が年をとることができない人間なんだと打ち明けようと思ったくらい好きになった男性のお父さんが実は40年前に付き合っていたすごく好きだった人で、お父さんも彼女のことがすごく好きだったので忘れてなくて、そんなお父さんの前に40年前と変わらない彼女が出てきたもんだからものすごく動揺して、動揺しすぎたのか興奮しすぎたのか40年前の彼女との思い出をのろけだしたら横にいた奥さんにブチぎれられるシーン」です。


もし自分に息子がいて「今度彼女連れていくよ!」って言われて連れてきた彼女が昔付き合っていた人とうり二つでしかも当時と変わらない容姿で出てきたらそりゃビビるよなーと思うし、動揺のあまり失言してしまうのもしょうがないと思うんですよね。なんかあのシーンの容赦のなさにはもう冷や汗をかきながらも笑うしかなくてほんとおもしろかったです。


@MOVIX宇都宮で鑑賞

「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN END OF THE WORLD」見たよ


その日、人類は思い出した―。百年以上前、突如現れた巨人たちに、人類の大半は喰われ、文明は崩壊した―。この巨人大戦を生き残った者たちは巨人の侵攻を防ぐため、巨大な壁を三重に築き、内側で生活圏を確保して平和を保っていた。だが百年、壁が壊されなかったといって、今日、壊されない保証はどこにもない―。

進撃の巨人 ATTACK ON TITAN END OF THE WORLD 映画作品情報 - シネマカフェ

前篇があまりにあまりだったので後篇は観に行くつもりはありませんでしたが、前篇だけ観て後篇はスルーというのもなんとなく気持ちが悪かったので後悔することを覚悟のうえで観てきました。

観ての感想としては後篇は前篇ほどひどい内容だとは思いませんでしたが、それは「後篇がおもしろかった」というわけではなくて「一切の見どころがなかった」ためです。後篇は前篇で謎として残された部分の回答編でしかなく、前篇をメインストーリーだとすれば後篇はそのおまけ映像的なレベルとしか言いようのない内容でした。

これあえて前篇/後篇に分けた理由がまったくわかりません...。


あまりこういうことを書きたくはないのですが「前後篇に分けた方が2回分の入場料がとれて儲かるから」という意図しか感じられず、その露骨さがまた作品に対する不信感をより強いものにしていたように感じました。まったく同じ内容であったとしても、前後篇に分けずに3時間くらいにまとめたらもうちょっと印象も違ったんじゃないかなと思います。

後篇の内容の薄さ+上映時間の短さ(87分)を考えればそれは十分実現可能だったと思うし、なんていうか2作に分けたことがとにかく残念でなりません。しかもIMAXをもっている劇場ではこれをIMAXで上映しているそうですが、それがまた余計にお金の匂いがしてしょうがないという....。限りあるIMAXのスクリーンなんですから、いまだったら「アントマン」をIMAX上映した方がよほどみんな喜ぶと思うんですけどね。

と、ネガティブな感想はここらへんにして、作中で唯一好きだったのはこの作品の副題「The End Of The World」と同じ名前の楽曲がかかるシーンです。わたしは「The End Of The World」 ってカーペンターズの楽曲だと思っていたのですが、帰ってきてから調べたらスキーター・デイヴィスという人の歌だそうでして20年以上の長い間かんちがいし続けていました。

それはそれとして、この曲は高校生のときに買ったカーペンターズのCD「now and then」で初めて聴いたのですが楽曲のすばらしさもさることながら歌詞が本当に大好きで、聴きながら何度泣いたか分からないくらい繰り返し聴いていた曲です。

本作の副題がこの曲のタイトルと似ているなとは思っていましたが、まさか作中でかかるとは思ってもおらずうれしい誤算でした。歌詞の解釈を本作の内容に絡めたというのもすごく意外でしたし、副題に意味なんてないと思っていただけに大好きな曲が関係しているというだけですごく興奮しました。


これで作品がすごいおもしろかったらほんとうれしかったんですけどね...。


@TOHOシネマズ宇都宮で鑑賞

「ピクセル」見たよ


今から30数年前、NASAが宇宙人との交流を夢見て“人間”を・・”地球“を・・深く知ってもらうための紹介映像を宇宙に向けて発信、その中には 当時大流行していたゲームの映像も送られた…。ところが受信した宇宙人は、それを友好のメッセージではなく挑戦状ととってしまったから、さあ大変。彼らは地球が発信したゲーム・キャラクターに扮し、現代の地球を侵略しにやってきたのだ! しかし、そんな彼らの弱点を見抜いた男たちが現れる。彼らは 80年代当時 ゲームチャンピオンの名をほしいままにしていた最強の元ゲームオタクたち!はたして彼らは、ゲームクリアできるのか?それとも人類は全滅してしまうのか――。

ピクセル 映画作品情報 - シネマカフェ


レトロゲームを題材にした映画が公開されるという話を初めて聞いたときに思い浮かんだのは「それってちゃんとした映画になるの?」という不安でした。ゲーム単体を題材にした映画は数あれど、レトロゲームを題材にした映画なんて聞いたこともなかったし一体どういうジャンルの作品になるのかさえ想像することができませんでした。

レトロゲームが大人気だった時代を懐古するような話だとすればまったく興味のない内容ですし、時代ではなくゲームそのものを題材にするというのもいまいちピンときません。あえてレトロゲームに限定している以上、昔のゲームならではのファクターがあるはずでそこがなんなのかすごく気になっていました。

むかしからのゲーム好きとしては果たしてどういうジャンルでどういう話になるのかめちゃくちゃ気になっていたのですが、いざ観てみたら完全に予想の斜め上をいく内容でして、つまり思っていた以上にレトロゲームを中心に据えた作品になっていていい意味で期待を裏切られたなと感じました。

宇宙人が地球からケンカを売られたと勘違いして攻めてくるというおバカな設定や、話の流れを整えるためとしか思えないご都合主義全開の展開にはちょっと呆れてしまうところもありますが、物語としては観ている人を惹きつける魅力を秘めていて最初から最後までまったく飽きることなく鑑賞できました。

宇宙人がゲームで勝負を挑んでくるとか3回勝負だとかそういう一つ一つの要素だけ見ればほんとばかばかしい以上の感想は出てこないのですが、でもこれがきれいにひとつの物語としてまとまって完結していてしかもめちゃくちゃおもしろいんです。レトロゲームに思い入れのある人もない人も楽しめる良い作品でした。


ちなみに、本作のエンドロールではこの作品の全ストーリーをドット絵で簡易に再現した映像が流れるのですがこれがもう非常にグッととくるというか、こうやってドット絵で再現すると本当にむかしのゲームみたいな話だったんだなといたく感心させられました。

途中でトイレに行ったり寝てしまったために本編を見逃してしまった人も、このエンドロールを観ればどんな話だったのか分かる親切設計になっています。というのはさすがに冗談ですが、こういう本筋以外の部分の作りこみもとてもこだわりが感じられたしとてもよかったです。


@アースシネマズ姫路で鑑賞

「IMAGINE」見たよ


ポルトガルの古都リスボンを舞台に、盲学校の教師とその教え子が恋に落ちる姿を描いたラブストーリー。「反響定位」というテクニックにより、白い杖を使わずに歩くことができる視覚障害者のイアン。リスボン視覚障害者施設で教師として働く彼は、子どもたちに自分と同じ技術を教え、外の世界に出ることの素晴らしさを説いていた。引きこもりがちだった女性エヴァも、そんなイアンに興味を抱き、彼のノウハウを学んで2人で街へ出かけるが……。

イマジン : 作品情報 - 映画.com


ポスターに惹かれてなんとなく足を運んだ映画でしたがすばらしい作品でした。

本作は目の見えない人たちが過ごす日常を丁寧に描いているのですが、「目が見えない」ことの不便さだとか怖さを観ている側に映像をとおして余すことなく伝えようという工夫が作品のあちこちに見られました。そしてこの作品を観ていると、「目の見えない人が得ることができる情報量」が「目の見えている人たちが得ている情報量」に比べていかにつつましいものであるのかということを身に染みて実感することができました。


もし自分だけがテレパシーの使えない世界があったとしたら?

もし自分だけが10分後の世界を予知できない世界があったとしたら?

もし自分だけ空を飛べない世界があったとしたら?


つまり自分が絶対に手に入れられないスキル・能力を、自分以外の他の人たちが当たり前のように所持している世界を想像してみることで、目の見えない人たちの感じている不自由さを想像できるのではないかと思ったのですが、いまとなっては思い上がりもいいところでしたね...。


話はちょっと変わるのですが2年前に亡くなったわたしの祖母は第一級の視覚障害者でした。

目が見えない祖母は日常生活のさまざまな場面で苦労していましたし、わたしはずっとそれを見て育ちました。なので目が見えないことがどれほど大変なことなのかわかっているつもりでしたし、ずっと近くで見ていた分、他の誰よりもそのことをわかっているつもりでしたがその「わかっているつもり」というのがいかに中途半端な想像力から生まれた的外れで陳腐なものだったのかをこの作品を観ながら思い知らされました。


目の前にあるのにそれがどういうものなのかを見ることができないもどかしさが見ていてすごく伝わってきたし、目の見えない人たちが見ている「光ではなく音が見せてくれる世界の姿」もこの作品をとおして見ることができました。

世界はほんとうに美しい!


@宇都宮ヒカリ座で鑑賞

「死霊高校」観てきました


呪われた学校を舞台にPOV(主観映像)形式で描くサスペンスホラー。1993年、高校演劇として上演されていた「絞首台」のクライマックスで、主役のチャーリーに大惨事が起こる。それから20年後、同じ舞台で同じ「絞首台」を演じることになった高校生男女4人は、本番前夜に忍び込んだ校舎で、20年前の惨劇の映像を目にしてしまう。そして、その直後から周囲で怪現象が次々に発生する。

死霊高校 : 作品情報 - 映画.com


わたしは昔から怖がりというかビビりやすい性格でしてホラーは大の苦手なんですが、苦手なくせにホラー映画や心霊写真は大好きというたいへん困った人間です。これがどのくらい切ないことなのかは「パンが好きなのに小麦アレルギー」「猫が好きなのにネコアレルギー」みたいなことを想像してもらえればわかりやすいのではないかと思います。

そんな怖いもの好き(自称)ですので近所でホラー映画が公開されると聞けばすぐに映画館へと駆け込んで観るわけですが、映画が始まって10分くらい観たところで大抵観に来てしまったことを後悔してしまいます。

ホラー映画を観るだけでも怖いのに劇場内は真っ暗でよけいに恐怖心があおられるし、後ろの席に誰か座るともうその人に殺されるんじゃないかとドキドキして映画どころではなくなってしまいます。では後ろの席に誰か座るのが怖いのであれば一番後ろに座ればいいじゃんと思ってそうすると、それはそれで後ろの壁から手が出てきて引きずり込まれるんじゃないかとか前に座っている人たちが気づかれないうちに殺されてしまうんじゃないかとか考えてしまってまた怖くなってくるし、もうそもそも映画館でホラー映画を観ること自体が怖いんだなと。


そんなわけで今回も観たら後悔するんだろうなと思いながらも「死霊高校」を観てきました。


本作は、とある高校で20年前に行われたときに演者の一人が死んでしまったといういわくつきの演劇を再演しようと準備していたのですが、無理やり参加させられていたアメフト部の男の子(この子が今回のカメラマン)とその彼女、そして主役として出る予定だった男の子の3人が劇を中止に追い込むために前日の夜に忍び込んで舞台をめちゃくちゃにしようとしたら...というお話です。


今回この作品で怖い目にあうのはアメフト部とその彼女といういわゆるジョックに属する人たちなのですが、これが本当にひどいやつらでしてもう人間として終わってるだろうとしか言えないクズだったりします。演劇部のメンバーをカメラで映しながらその容姿をなじったり演劇に情熱を注いでいる人のことをバカにしたり、さらに弱そうなやつや気に入らないやつのことは力で抑えつけようとします。

彼や彼女の行動・発言は見ている/聞いているだけで不愉快になったし彼らのそのクズっぷりに心底うんざりもしました。

そんなわけで彼らがさんざんビビらされてひどい目にあわされてもなんとも思わなかったし、むしろすっきりしたという意味においてはこの彼らの性格付けはとてもよかったなと思います。この映画が怖くなかったとは言いませんし実際に終始ビクビクしていたのですが、覚悟していたほど怖がらずに済んだのはこの設定と演出のおかげだろうなと思います。


あとは物語の中盤である事実が判明し、そして結末ではこの一連の出来事をそのバックグラウンドを含めて明らかになるのですがこれがまたありきたりではない意外なものでして、見ていて思わず「へー」と言ってしまうほどの内容でした。ただただ怖がらせようとしてだけではなく、ひとつの物語としてその骨組みまでしっかり考えられていたことにはただただ感心させられました。


「なんか変な出来事が起こってる...」→「20年前の事件のせいだ!」→「実は...」


という流れがすごくよかったなと。


そんなわけで「怖いけれどそれ以上におもしろい」というのがこの作品に対するわたしの評価でして、ひさびさにおもしろいホラー映画が観られたことにたいへん満足しました。ここまで楽しめたホラーは「スペル」以来かも!*1


@MOVIX宇都宮で鑑賞

*1:「スペル」はホラー映画ではないというツッコミはご遠慮ください

「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」見たよ


その日、人類は思い出した―。百年以上前、突如現れた巨人たちに、人類の大半は喰われ、文明は崩壊した―。この巨人大戦を生き残った者たちは巨人の侵攻を防ぐため、巨大な壁を三重に築き、内側で生活圏を確保して平和を保っていた。だが百年、壁が壊されなかったといって、今日、壊されない保証はどこにもない―。

進撃の巨人 ATTACK ON TITAN 映画作品情報 - シネマカフェ


10代、20代のころは格闘ゲームが大好きでゲーセンによく通っていました。

格闘ゲームと一口にいってもじつはわりと幅が広くて、たとえばストリートファイターのような奥行きのない平面で戦う2D格闘ゲームもあれば、バーチャファイターや鉄拳のような奥行きもある3D空間で戦う3D格闘ゲームもあります。

わたしは3D格闘も2D格闘もどちらも大好きでしたが、こういうゲームはどれだけ集中して練習できるかが強くなるためのポイントなのにわたしは両方をほどほどに遊ぶというどっちつかずの遊び方をしていたために、どちらも突出して強いわけでもなく、素人には勝てるけどやりこんだ人にはなかなか勝てないという程度の強さでした。

勝てなくてもゲームは大好きなので毎日あししげくゲーセンには足を運んでいましたが、ゲーセンに行ってゲームを見ていたらある日おもしろいことに気付きました。それは「うまい人が強いわけではない」ということです。

格闘ゲームというのは一言でいえば「自分の体力が減らされる前に相手に攻撃をして体力を減らした方が勝ち」というゲームです。相手から攻撃をされたらガードをするなり避けるなるして体力を減らされないように立ち回り、相手が隙を見せたらそこに攻撃を叩き込んで相手の体力を全部減らすことで勝利となります。

細かい戦い方はゲームごとに異なりますが、格闘ゲームというジャンルにくくられるゲームがやっていることはおおむねこれだけです。

そして上で書いた内容を要素ごとに分割すると大きく3つに分けることができます。

  1. 相手が攻撃してきたらガードをするか避けて体力を減らされないようにする
  2. 相手の隙を見つけて攻撃を仕掛ける
  3. 相手の体力を減らすために間隙なく攻撃を続ける


格闘ゲームというのはこのいずれかひとつの要素でも満たさないと強くはなれません。
いくら相手の攻撃をうまくガードしたり避けたりできたとしても相手の体力を減らさないかぎりは倒せませんし、逆に相手の体力を減らすだけの攻撃ができたとしてもそのチャンスを見つけて攻撃を仕掛けることができなければやはり勝つことはできません。


ゲーセンで見ていておもしろかったのは、コンピューター相手だと流れるような動きで勝利を重ねていくのに、対人戦になると途端に攻撃を仕掛けるチャンスを作れずに負けていく人がわりと多かったということです。相手の体力を奪う攻撃を身に着けていたとしても、コンピューター相手にしかそれを仕掛けるチャンスを作れないのであれば勝つことはできないしつまりそういう人は「うまいけど強くはない人」なのです。

それまではゲームがうまくなれば対人戦でも勝てるようになる、言い換えればうまくなれば自然と強くなるだろうと思っていたのですが、「格闘ゲームがうまい」ことと「格闘ゲームが強い」ことはイコールではないということがわかったのです。
そしてそれを知ってからはじゃあ強くなるためにはどうしたらいいのか?ということを考えて練習することが多くなりました。

その結果として自分がどこまで強くなれたかどうかはわかりませんが、強くなるための練習を考えるようになってからは格闘ゲームがもっと楽しくなったことは間違いありません。そしてそこまでゲームにハマったせいで修士論文の締め切り直前までゲーセンに通っていてあやうく書き上げられないところだったというのはいまとなってはいい思い出話です(無責任)。


さて。

先日、実写版の「進撃の巨人」を観てきました。
原作未読ですのであちこちで話題にあがっていた原作との違いはまったくわかりませんのでその点については一切言及できません。そのため映画単体としての感想となるのですが、まずざっくりとした感想を述べると「期待していたレベルの作品ではなかった」というのが率直な感想です。

ではいいところがまったくなかったのか?というとそんなことはなくて、個々の要素についていえば非常によい出来だったと思います。たとえば巨人たちは非常にうまく撮られていて巨人たちへの嫌悪感と恐怖を同時に植え付けるすばらしいビジュアルだったと思うし、世界観の作りこみもキャストのハマり具合も個人的にはかなりよかったと感じています。

キャストだとミカサ役の水原さんはとくによかったし石原さとみさんの振り切れた演技もすごく好きです。

ところがここまで個々の要素はすごくいいものがそろっているのに、これをひとつの作品として組み立てていく中でフォローのしようがないくらいダメな要素がいくつか入り込んでしまったのか結果としてはおもしろみに欠ける映画になっていたと感じました。

わたしは観ている人を惹きつける力のないストーリーと演出が一番ダメだったと思うのですが、とにかく次の展開が気にならな過ぎて観ているのがほんとうにつらく感じました。

個々の要素がいくらよくてもおもしろくなるわけではないんだなと思ったところで、冒頭で書いた「ゲームがうまくても強いとは限らない」という話を思い出したのですが、結局この作品で頑張っていたのは「巨人の見た目をそれっぽくする」だとか「人が食べられる様子をリアルに再現する」だとか枝葉の部分であって、トータルで映画をおもしろくしようというところではなかったんじゃないかなという気がしています。


とりあえず後編は観ようかどうしようか迷っているところです。


@MOVIX宇都宮で鑑賞