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感染列島


救命救急医・松岡剛(妻夫木聡)の元に一人の急患が運び込まれてきた。それは、高熱に痙攣、吐血、全身感染とも言える多臓器不全など、人類がいまだかつて遭遇したことのない感染症状であった。新型のインフルエンザなのか? それとも別の新種のウイルスなのか? 戦場と化した病院で従事する松岡らの元に、 WHOからメディカルオフィサーの小林栄子(檀れい)が派遣されてきた。もし、このウイルスが国内で感染爆発してしまったら、3か月以内に交通網や都市機能が停止し、わずか半年で感染者は数千万にものぼるという、恐るべき事態が予想された――。人類は、未曾有の感染パニックに終止符を打つことができるのか!? 妻夫木聡主演、新型感染症に立ち向かう人々を描いたリアル・サスペンス。

感染列島 映画作品情報 - シネマカフェ

TOHOシネマズ宇都宮にて。
未知のウィルスが日本中に蔓延して多くの人の命が奪われていく恐怖と、それに立ち向かう人々の姿を描いた作品。邦画ではこの手の作品はほぼ例外なく面白い作品というのは思い出せませんし、予告を観た限りではものすごく期待を煽られる感じでもなかったので、過剰に期待はもっていませんでした。ところがこの作品はその予想をよい方向に裏切ってくれました。次々とウィルスが伝播していく怖さや、それによって都市機能がどんどん麻痺していく絶望感がとても伝わってきてよかったです。
鑑賞中盤を過ぎると、何だかそのあたりに作中と同じ感染症が蔓延しているような錯覚を覚えるほど作品の世界に入り込んでしまい、急に咳き込み始めた隣の席の人が実は感染者だったら...とかよく分からない妄想を繰り広げてしまいました。ホントビビリすぎです。


そういえばどうしても書きたかったことがあるので最初に書いちゃいますが、作品の冒頭で鳥インフルエンザに感染した村を扱うシーンがあるのですがここを観てたら「何だか観たことのあるようなシーンだな...」とものすごく既視感をおぼえました。で、何とかすぐに思い出せたのですがこれって昨年2月に公開された「L change the WorLd」の出だしとほとんど一緒なんです。まあ、ウィルスが題材なのですから多少類似してしまうのは止むを得ないとは思いますが、何ていうか「東南アジアの村」で「未知のウィルスが蔓延」しているというのはちょっと偏見じみているような気がするし、ステレオタイプ過ぎるんじゃないでしょうかね。
たまには「秋田のなまはげから酒が手放せなくなる未知のウィルスが発見」とか「沖縄のシーサーから狂犬病に類似した未知のウィルスが...」とか「奈良の鹿からせんb(以下略)」なんてのでもいいと思うんですよ。もっとひねりようがあるし、こんなに似たような展開を冒頭にもってくるなんて東南アジアに恨みでもあるのかと思わずにはいられません。
つかみが肝心なのにいきなり浅慮なところを見せられてしまい非常にがっかりしました。


とは言え、それ以降はさまざまな人の視点から見た「爆発感染」のおそろしさが描かれていて引き込まれたことを考えれば全体としては非常によく出来た作品だったと言えます。


この作品はかなり手広くさまざまなテーマについて描いていたのですが、その中でも印象的だったのは以下の3点です。

1. 犯人探しは誰を幸せにするのか

このウィルスが広まった時に、その感染源は近くの養鶏所にあるのではないかということでその養鶏場の経営者が世間から責め立てられて悲惨な末路を迎えます。そしてその後に判明するある事実。


日本では容疑者となった時点でほぼ犯人と同様の扱いをされるために、誤認逮捕された場合や、場合によっては単に疑いがかけられただけでそれまでの生活が破綻させられることがあります。それを助長しているのが過剰とも言えるほどの報道と、その報道に煽られる形で形成される無言電話や嫌がらせをするような人々からのバッシングです。


そもそも刑事罰以外にも、このようなマスコミや一個人による制裁というのは果たして必要なのでしょうか...ということを書きたかったのですが、今日から公開の「誰も守ってくれない」で多分似たようなことを書きたくなると思うのでこれについてはそちらに譲ることにします。


で、それで終わるのも寂しいので、「じゃあもしそれが冤罪だったら...」というまさに今回のようなケースについて考えてみると、むしろこちらの方がかなり問題が多い事に気付きます。
例えば、冤罪だった場合にそれまで報道していたマスコミや嫌がらせをしていた人たちには何も責任はないのかという疑問が沸いてきます。散々バッシングしておいて、間違ってても何もありませんよって冗談じゃないです。
このように、どんなひどいことであっても世の中全体がそれを許すような空気だったら誰も責められない、というか責められるべき対象そのものが消失してしまうということにとてもやるせない気持ちになります。
このような「国民感情」という名の「場の空気」については以前この本で読んだことがあります。


「関係の空気」 「場の空気」 (講談社現代新書)

「関係の空気」 「場の空気」 (講談社現代新書)


空気が読めないとか、空気読めとか、最近そういう目に見えないものに支配されることに対してとても抵抗をおぼえるのですが、こういう世間の空気みたいなのも本当に嫌な気分になります。


話が映画からそれてしまいましたが、この作品でも描かれているような「ウィルスを最初に持ち込んだのは誰か?」というマスコミによる犯人探しの無意味さには心の底から辟易します。これが再発防止とか、原因追及のためであれば何の問題もないのですが、単に見つけてつるし上げてみんなで石を投げようという意図しかない以上、とても賛同する気にはなれません。
でもこういう流れが今の日本では普通の状態なんですよね...。

2.トリアージの難しさ

はてなでもたまに話題に上がっているトリアージ
議論を眺めている時にはトリアージは必要なものだと思っていたのですが、実際にそれが適用されている場面を映像として見せられるととても必要だとか必要ないとかそんな空論を語る気にはなれなくなります。多くの人が命を失いかけている、まさに戦場のようなその場にいあわせた人だけがその必要性や意味を語る資格があるのとしか思えないのです。


ネットではさまざまな記事を見かけますし、その中には専門的な知識がなくてもそれなりに自分の意見を言えるようなことも少なくありませんが、自らがそれを語る資格があるのかどうかというのは必ず一度考えるべきことだなと実感させられました。
そしてトリアージするにしろしないにしろ、結局命の選別をしないといけない医師の立場と言うのは本当に大変だし、その立場相応に尊敬されるべきだよなと思うのです。

3.都市機能のもろさ

どれだけ強固に作り上げられた都市機能も、それを運用/利用する人間が居なくなるとあっという間に使えなくなるという脆さ。
言われてみれば当たり前のことなのですが、これだけさまざまな技術が発達すると他人がいなくてもいろんなことを実現出来るなんて思い上がっていたのですが、実は全然そんなことはないんだなあ...と反省しました。
たしかに交通機関や流通などは人間がやらないといけない仕事がほとんどですし、そもそも人間がまったく不要で全て自動化されている仕事なんてほとんどないんですよね。


単にウィルスが蔓延している地域から逃げれば済む問題ではないというのはやはり怖いよなあ...。



まとまらなくなってきたので、ここらへんで一気にまとめますが、途中、一瞬だけゾンビ映画になってしまってびっくりした以外はとても優れたディザスタームービーだったと感じました。
同じディザスタームービーで先月公開された252と比べるとその出来の違いは一目瞭然なので、252にがっかりしてしまった人にもお奨めです。


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