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「サンザシの樹の下で」見たよ


文化大革命下の中国。都会育ちの女子高生ジンチュウ(チョウ・ドンユィ)は、<再教育>のために送られた農村で青年スン(ショーン・ドウ)に出会う。エリートでありながら明るく誠実な彼に、それが身分違いの許されぬ愛と知りながらも彼女は惹かれていく。しかし、2人の愛が実を結んだ時、運命はさらに過酷な試練を課すのだった――。若者が織りなす瑞々しい愛と切ない別れを、叙情豊かに描いた愛の名作がチャン・イーモウ監督によって誕生。

サンザシの樹の下で 映画作品情報 - シネマカフェ

MOVIX宇都宮にて。


先日「ジュリエットからの手紙」という作品を観たのですが、"好きだったんだけど離れ離れになってしまった2人が50年ぶりに再会して焼けぼっくいに火が付いた"的な話がロマンチックなお話として描かれていました。たしかに長い年月を経て再開するだなんて夢物語のような話ですが、でもこのロマンチックは正直わたしのハートにまったく響かなくて「そうなんだ、ふーん」*1って思っただけだったのです。


対して、本作は互いに想いを寄せあっている二人が時代や病気によってその仲を引き裂かれていくというお話でして、これまた切ない上にロマンチズムにあふれた作品なのですが、この作品にわたしは終始キュンキュン胸を高鳴らせていたのです。超ロマンチック!


では「ロマンチックな物語」という点についてはまったく遜色のないこの2作品に対する評価の違いはいったい何に由来するのか?ということについていろいろと考えてみた結果、男性が主体者であるかどうかという点が大きく違うからではないかということに気付きました。


ジュリエットからの手紙」は物語すべての展開は女性の行動によって決定づけられます。
50年前に逃げたのも女性だし、そのときに手紙を隠したのも女性。そしてその手紙を見つけたのも女性だし、その手紙を書いた人に返事を書いたのも女性で、それに発奮して行動を起こしたのも女性。結局、この作品は全部が女性主導ですすんでいくのです。


それに対して本作はスン(男性)が主導権を握って物語が進んでいきます。
最初に相手に好意を寄せるのはスンだし、言い寄るのもスン。自分の好意をはっきりと伝えたのもスンだし、その後いろいろと相手に尽くしたのもスンなんです。すべてが男性の行動によって物語が進んでいく分、感情移入する余地があったんじゃないかなと考えたのです。


しかもジンチュウに対するスンの好意の伝え方は、何というかこれまたかわいくてグッとくるんですよ。
例えば、スンはジンチュウと手をつなごうとするのですがジンチュウは恥ずかしがって手をつなぐことを拒むのですが、それじゃあ手ではなくて棒の両端を握りあうことをスンはもちかけ、その許可を得るのです。棒の両端を握り合って歩くスンとジンチュウ。ところが、スンは棒の握る位置を徐々にジンチュウの手に近づけていき、結局最後は手をつなぎあって棒は捨ててしまいます。
好意を寄せているのに恥ずかしさと周囲への配慮からなかなか素直になれないジンチュウ。そんな彼女と手をつなぎたいがために必死で頑張るスンの行動がとてもおかしくてよかったです。


そんなわけで本作はストーリーや演出でわたしの心を躍らせてくれたわけですが、この作品の一番の魅力は映像の美しさに尽きます。


話はちょっと変わりますが、私はブログでもtwitterでも同じアイコンを使っているのですがこれは2009年1月に公開された「きつねと私の12か月」という作品のワンシーンを切り取ったものです。よく言われるのですが、これに写ってるのは私ではありません。
この映画はストーリーや演出自体はさほど惹かれるところがなかったのですが、映像がとにかくすばらしくてどのシーンを切り取っても一枚画として飾れるんじゃないかというくらいすごく美しかったのです。きつねとの出会いのシーンや逆光の中で森の中や山嶺を歩くシーンなど、一度観ただけで心に刻まれてしまうようなそんなシーンがすごく多くて大好きな作品なのです。


本作もとにかく非常に美しい場面が多く、観ながら「きつねと私の12か月」を観た時の興奮がよみがえってきました。




字幕を読まずにただ風景を眺めるためだけに2回目を観に行こうかと画策中です。


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*1:偉そうですいません