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「麦子さんと」見たよ


ニット帽を被り、田舎の小さな駅に降り立った麦子。麦子は亡くなった母が青春時代を過ごした田舎に納骨のために来たのだったが、かつての母はなんと町のアイドル!? 彩子にそっくりな麦子の登場に、色めき立つ町の人々。母の親友、母のストーカー…青春時代の続きと言わんばかりに、いい大人たちが麦子の廻りで騒動を巻き起こす。麦子にとっての母は、自分と兄を置いて家を出ていった最低の母親。父親の死後、都会で兄とふたりで暮らす麦子の元に、ある日突然戻ってきた。だが、町の人を通して、母親に触れることで、いままでとは違う母に対しての気持ちが生まれていく麦子。母が青春時代を過ごした田舎で、母の青春の続きに付き合わされる不思議な数日間を過ごす――。

麦子さんと 映画作品情報 - シネマカフェ


TOHOシネマズ宇都宮で観てきましたが、あまりにおもしろくて何度も劇場にかよってしまい結局3回も観てしまいました。

邦画好きにはまちがいなくおすすめできますが、ふだん邦画を観ない人にもおすすめしたい作品でした。


超よかった、すごくよかったです!(大事なことは二回言います)


幼い時分に両親は不仲が原因で離婚。その後は父親と兄と暮らしていたために母親とは長く疎遠だった麦子(堀北真希)。
父が逝去してしばらくしてから、あることをきっかけに母親と同居することになった麦子ですが、母との生活は初めてで距離を測りかねている麦子とは対照的に図々しく娘の生活に踏み込んでくる母・彩子(余貴美子)。そんな強引さに戸惑いつつも、母と仲良くしたくないわけではない麦子ですが今まで離れていたのにあっという間に距離を詰めてくる母に対して言いようのない苛立ちをおぼえ、ときに母を傷つけるための言葉をわざとぶつけてしまいます。

そんな両者のあいだに溝は埋まらないまま、母はとつじょ病気で亡くなってしまいます。
母への複雑な想いを抱えたまま、遺骨をお墓に納めるために生まれ故郷である町へと麦子が向かうのですがその町で母の意外な過去を知ることになる...というのが本作のおおまかなあらすじです。


麦子はおかあさんとずっと離れて暮らしていた分、本当はもっと仲良くしたいし、お互いのあいだにできた溝を埋めたいのに、でもずっと会えなかったことや会いに来てくれなかったことへの不満が素直になることを邪魔するのです。他者との関係を築く上でもっとも厄介な障害のひとつとして「取り戻すことも変えることもできない過去への不満」というのがあると思っているのですが、麦子が母親に素直に接することができなかったのもそれが原因だと思っています。

もうどうしようもないことだとわかっていても、どうしても許すことができなくてつい辛くあたってしまう。

この関係を修復する唯一の手段は「過去は変えられないものと認めること」「過去は過去として受け入れること」だけなのですが、これがなかなかできそうでできないんですよね。頭では理解できても心がそれを拒絶する。そんな理想と現実の板挟みによって生じる自己嫌悪に打ち勝たなければならないんです。


くわえて、そもそも麦ちゃん親子くらいの年齢になると親と子の関係ってすごく難しくなると思っています。
たとえば、親と子の関係が「大人と子ども」であり、また「扶養と被扶養」であるうちはお互いが為すべき役割は明確であって距離の取り方に悩む必要はないのですが、「大人と大人」というまったく同列の立場になってしまうと、果たしてどう接すればいいのでしょうか。

別にわたしは親と離れて暮らしていたわけではないのですが、でもなんていうか大人になってからは親とどのくらいの距離で接すればいいのかいまだに分かりません。帰省するたびにその場その場で距離をはかりながら接することにしています。ほんとむずかしいです...。


話を映画に戻して、本来は母との関係を再構築することで母と自分の関係を修復していかなければならないのにそれもままならない状態で先立たれてしまった麦子。当の母親が不在ではもうその修復は不可能であろうと思ったそこのあなた!残念ですがはずれです。

納骨のために訪れた母の故郷で、麦子はさまざまな人の言葉やまなざしから在りし日の母の姿を見つけ、自分と同じくらいの年齢のときに母がどのような想いでいたのかを知ることになります。たしかに本人が言えば信じられないようなことでも、第三者の口から聞くと信じてしまうことは往々にしてあります。

たとえば悪い噂が流された場合には、本人が否定するよりも多くの人が信頼する他者が否定した方が信じてもらえるというのと何となく似ている気がしますが、ともかくそういった町の人たちの言葉や態度をとおして麦子は母親への否定的な想いが徐々に和らぎ、自分はちゃんと母親に愛されていたんだという実感をもつにいたるわけです。


愛情というのは条件付きで注ぐべきものではないとよく言われます。

「○○だから愛している」というのは、逆に言えば「○○ではないから愛していない」となるわけで愛してもらうためにはその条件を満たし続けなければならないという強迫観念につながります。根拠なんてなくても自分に自信がもてる人は条件付きではない愛情を十分に受けた人だそうですし、逆に他人との関係に勝ち負けを持ち込まずにはいられない人や常に自信がもてない人は条件付きの愛情を多く受けた人だそうです。

麦子は物心ついたころには母親はおらず、無条件の愛を十分受けずに育ったのだろうと推しはかれます。
そんな麦子に母の故郷は「無条件の愛」を注いでくれた、つまり母の代わりに存分に愛してくれたんだなと最後まで観てすごく幸せな気持ちになりました。


初めて町に降り立ったときは駅からタクシーに乗って旅館に向かった麦子ですが、帰りは歩いて帰りたいと申し出て帰途につきます。その対照的な姿が、町の人たちが与えてくれた愛情で成長した様子を的確に表していて観ていてすごく幸せな気持ちになりました。


青空のもと、一歩一歩を踏みしめるように歩く。


生きることは歩くこととよく似ているとわたしは思うのですが、楽しそうに、嬉しそうに歩く麦子の姿を見ていたらわけもなく涙が出てきて止まらなくなりました。






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