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映画館で映画を観るのが大好きです

「プリズナーズ」見たよ


アメリカ国民の誰しもが愛する家族と幸せなひとときを過ごす感謝祭の日―。二人の少女が消えたー。平穏な田舎町に突如訪れた惨劇。手がかりは少ない。警察(ジェイク・ギレンホール)の捜査は錯綜する。証拠不十分で釈放された第一容疑者ポール・ダノ)の証言から父親(ヒュー・ジャックマン)は犯人が「第一容疑者」だと確信する。残された時間は少ない。我が子を自力で救い出す為に父親は越えてはいけない一線を越える…。

プリズナーズ 映画作品情報 - シネマカフェ


「大人になる」ということはどういうことなんだろう?と考えてみると、よくもわるくも鈍感になることじゃないかなと思います。


どんな衝撃的な体験であってもそれがもし繰り返し経験できるものであればそのうち慣れていき、いつしか何の感慨も抱かなくなります。
どんなおいしいものだって毎日食べていれば飽きるし、どんなにおもしろい映画だって毎日観ていれば飽きます。

どんなことも初めて体験したときの衝撃にはかなわないのです。


ちょっと話が変わるのですが少年マガジンで連載中のマンガで「はじめの一歩」というボクシングを題材にした作品があります。
とても有名な作品なので読んだことがある人も多いと思いますが、その作品の中で主人公の一歩がある試合の前にヴォルグ・ザンギエフという旧知のライバルとスパーリングをしてノックアウトされるシーンがあります。

一歩の次の対戦相手として控えていたのは尾張の竜と呼ばれる沢村というとてもつよいボクサーでして、ファイターである一歩が苦手とするカウンターの使い手でした。沢村はどんなパンチにもきれいにカウンターを合わせることができるとてもハイスキルな選手だったため、一歩の方がやや分が悪いと見られていました。

そんな一歩の一助となるべく、ヴォルグは沢村が試合で一歩にたたきつけるであろう一撃をスパーリングで放ち、一歩にその破壊力を教えたのです。想定外のパンチに気を失ってしまったことにショックを受ける一歩ですが、その後の試合で沢村にほぼ同じ一撃を食らってしまうのものの既にスパーリングでその一撃のタイミング、破壊力を知っていたために気を失うことなく戦いを続けることができたのです。


ここでもっとも大事なことは「そのパンチを一度受けて知っていたこと」です。

もし、この一撃を受けたのが試合が初めてであれば、たとえ頑丈な一歩であってもダウンはまぬがれなかったはずです。実際にスパーリングでは一歩は気絶してしまったわけです。でも既に一度受けていてその威力を知っていたからこそそこで耐えることができたわけです。

ボクシングにかぎらず、対戦形式のスポーツをやったことがある人であればある程度似たような経験があると思うのですが、初めて見る攻撃をしてくる相手に勝つことはとてもむずかしいです。わたしは柔道をやっていましたが、周りの人が使うような大外刈りや払い腰、内またなどであればある程度来ることを予想して耐えることができますが、巴投げや捨て身小内などふだんほとんど見ることが無い技を受けたときはまず間違いなくそのままポイントを取られていました。

とうぜん格闘技だけではなく、野球だってサッカーだってバトミントンだってなんだってそうだと思いますが、ふだん見たことのないような攻め方というのはどう受けてよいのかわかりませんし、その結果致命的なダメージを受けることも少なくありません。それくらい初見の相手との対戦で勝つことはとてもむずかしいとも言えます。

だから大事なのは、本番で常勝するためにはふだんからさまざまなタイプとの対戦経験をもっている必要があるとも言えます。


話がかなりそれてしまいましたが、どんなことでも経験しておくのが大事だよということであり、それは平時のわれわれにも言えることでさまざまな経験を積んでいくことで大抵のことには驚かなくなるしいろんなことは予測して対処できるようになるのです。

細かいことを言えば、たとえば他人から投げかけられる悪意ある言葉にも耐えられるようになったり多少の失敗ではさほど落ち込まなくなったりしますし、世間のおっさんやおばさんの強さというかしたたかさというのは、こういったそれまでの経験に裏打ちされた打たれ強さであると言えるのです。


ところが、ひとつだけ年をとってもなかなか強化することができない弱点というのがあります。
それは子ども*1に対する攻撃です。


闘いの場で優位に立っていた人が子どもを人質に取られて劣勢に立たされるなんてのは映画でも小説でもわりと見かけるシチュエーションですし、拷問手段のひとつとして「大事にしている子どもを痛めつけてみせる」なんてのもあるあるなパターンです。
わたしにも二人の娘がいますが、自分がどんなに痛めつけられるような目にあったとしても、同じようなことをされて子どもがつらい目にあうよりは何倍もマシだと思います。そのくらい、子どもに対してなにかされるというのは耐えがたいことであり、どんなに鍛えようと思っても鍛えられない部分という意味ではアキレス腱や弁慶の泣き所みたいなものだと思います。


自分よりも弱い庇護する存在を抱えるということは、そういった克服のむずかしい弱点を抱えるということでもあるのです。


さんざん前置きが長くなりましたが、本作「プリズナーズ」はある日突然子どもが失踪してしまうというお話でして、正直予告を観ただけで「これは自分が観てはアカンやつや...」とピンとくる作品でした。子どもがさらわれてどこにいるのかまったく見当がつかないうえに、明らかに犯人と思わしき変態そうな野郎が無罪放免されてしまうという絶望的な状況は想像しただけでもう胸が苦しくなります。

子どもが目の前からさらわれて手の届かないところでひどい目に合されていると考えると、もう正気を保つ自信がありません...。


本作のお父ちゃん(ヒュー・ジャックマン)は変態野郎(ポール・ダノ)が犯人であると確信して廃屋に拉致して拷問するのですが、変態野郎はなかなか口を割りません。いくつか彼が事件に関わっている可能性を示唆する発言を口にしたりはするものの、決定的な言葉は出てこず、そのことにいら立ったお父ちゃんの暴力は日に日にエスカレートしていきます。

日々の生活の中では、ある日突然なにが起きても対処できるようにと家の中にさまざまなものを備蓄してそなえていたお父ちゃんでしたが、子どもがさらわれたときのことはさすがに想定していなくて、できるのは怪しい犯人候補をいたぶって自白を促すだけというのがすごく切なく感じられました。
お父ちゃんみたいに日頃から喫緊の問題には早急に対処できるようにそなえていた人ですら、我が子のピンチにはなにもできないという事実は重く感じられます...。


果たして、わたしはお父ちゃんのように行動できるのかどうか、娘を救うためにどういう行動がとれるのかどうかを考え続けた2時間でした。


MOVIX宇都宮で鑑賞



公式サイトはこちら

*1:血縁上の子どもにかぎらず、自身が庇護したいと願う対象としての子どもです